50年間YouTubeを毎日更新してみる。 【10日目終了 残り18252日】
50年間YouTubeを毎日更新中の現在19歳大学1年生のオオシマです。今回はYouTubeに毎日投稿を始めてから10日が経った、リアルな途中経過をお届けします。
YouTubeチャンネルのURLと、この無謀な挑戦へ至ったきっかけを書いたブログを載せておくので、お時間ありましたら覗いてやってください。
チャンネル登録者1人突破
この数字を見て少ないなと思った方、今すぐ表に出てください…
いや、やっぱチャンネル登録してくださいお願いします。
確かに1人の登録者でこんなに喜んでいるのも恥ずかしいですが、やっぱり嬉しいんです。だって動画の内容はただの大学生が編集もなしでダラダラと話しているだけですよ、そんな動画を見てチャンネル登録というアクションを起こしてくれたという事実が純粋に嬉しかったんです。始めた頃は誰にも届かない50年間になるかもしれないという不安がありました、けれど今はもう、少なくとも1人の方には届くんだという事実が本当に私の支えになっています。
50年間YouTubeをし続けるつもりでいますが、もし私が本当に50年続けられたとしたらその要因の一つは最初にチャンネル登録してくれた、顔も名前も知らない50年来の友だちだと思います。
「相棒」「こち亀」という2大ワード
これまでに10本の動画をあげたが視聴回数の平均は3〜4回。そりゃあそんなもんですよ、知らん大学生の面白くもない駄話ですから。それでもへこたれず10回続けました。初めはサムネを固定していたのですが、人間がやっている感が出なかったので動画中のスクショに変更。そして、そんな10本の中で20回ほどの再生回数になったのがこの2本の動画、
なるほど、知名度のある名前を入れたほうがいいんだな。これは10回やって完全に把握しました。そりゃあそうだ、自分には知名度がないんだから検索される可能性があるワードを…
まあ、そんな風な戦略は取らないんですけどね笑。このチャンネルのコンセプトはただ50年続けただけで、どこまでフォロワーを得ることができるのか。SEOとか流行りとかは関係なし。あと18252日、ずーっと変わらずダラダラ喋り続けます。
でも、10年経って急にドッキリとか可愛い動物とか、裸で雪山登ったりしてたら、温かい目で見守ってください。
50年間YouTubeを毎日更新してみる。【1日目終了 残り18261日】
50年間YouTubeを毎日更新し続けることを決めた現在19歳大学1年生のオオシマです。
YouTubeチャンネルのURLと、この無謀な挑戦へ至ったきっかけを書いたブログを載せておくので、お時間ありましたら覗いてやってください。
このブログでは、これから50年続くYouTube撮影の裏側や本音を記録していきたいと思っています。撮影した日に記録してるもの、そうでないものがありますが、YouTubeが50年続くということは、このブログにも50年分の記録がたまるということなので、力は入れず、自分のゆるーい日記のような形で記録していきます。
こうしてブログに毎回の記録をしていこうと思ったのが、開始してから2週間後だったのでリアルタイムでの更新ではありません。今後も時間がある時に更新する形なのでよろしくお願いします!
「よければ2071年までの50年間、お付き合いよろしくお願いします。」
YouTube初投稿
【2021年10月25日 1日目「西暦何年ですか」】
遂に始まる、正直なところ始めない方がいいんじゃないかと思っている。今日初めてしまうと50年間私はYouTubeという鎖に縛られることになる。怖い。
ただまあ失うものもないだろうと馬鹿になったフリをして始める。19歳の大学1年生、実家暮らしのため、家に誰もいない隙を見計らって撮影準備。
YouTubeチャンネルは事前に作っておいたアイコンを設定、砂時計のシンプルなデザイン。おしゃれにしすぎた気もするけど個人的には気に入っている。
怪しい宗教団体みたいな雰囲気もあるけど…
50年間の相棒…?
ここで今回の撮影に挑むにあたっての機材を紹介する!
- iPhoneSE2 (まさかのレンズ1つ!)
- 百均で買った三脚 (百均クオリティ)
- MacBookAir M1 (唯一の希望)
この装備で50年間もの長い時を過ごすと思うと身震いが…
ただ「質より量」が売りのチャンネル。とにかく撮影開始!三脚にスマホを挟んで撮影スタート。
あれ…?
一言目が言えない、、、恥ずかしい笑 よくよく考えれば1人でスマホの前に座って喋る、結構やばい光景。気合いを入れないと、、、
実際にしゃべった内容は動画をご覧ください。
初めてみれば意外と喋れる。
ただ、言葉は詰まるし、変な間もある、滑舌も良くないし、何より面白くない笑。
でもこれでいいんだ、こんな面白くない動画でも50年続ければ成果が出るはず。伝説の始まりみたいな気持ちに自分だけなって動画を止めた。
編集はダヴィンチリゾルブという編集ソフトを使用。選んだ理由はタダだったから、それだけ。編集の内容も、撮影日と第○回みたいなテロップ入れて、終了画面作って終わり。THE簡素。でもこうじゃなきゃ50年続かないからね。
早速アップロード。タイトルつけて概要欄書いて、待機。意外とYouTubeに動画をアップロードするまで時間がかかる。これは今後余裕持ってやらないと、間に合わないという事故の可能性も…
15分くらい待ってアップロード完了!誰もきっと言ってくれないだろうから自分で言う…
「うぽつ!」
アナリティクスのページを更新、更新、更新。もちろん何回更新すれど視聴回数は0。でも50年間の挑戦が始まったと言う事実に興奮。自分で自分の動画を見に行き、実際にYouTube上に上がってることを確認して興奮。そしてアナリティクスに戻ると視聴回数の欄に1と言う数字が!誰かが見てくれたと言う事実に大興奮!
…あ、自分でさっき見たじゃん、1回。
50年間YouTubeを毎日更新してみる。
2071年まで毎日YouTubeを更新する
50年間毎日喋り続ける人、オオシマです。YouTubeで2071年まで50年間毎日投稿を続けることにしました。
YouTubeのリンクを載せておくのでよかったら覗いてください。まあ50年続けてるので今じゃなくてもいいですけど、、、
このことを友達に伝えると、
「は?」
たった一文字だけ返ってきました。
みなさまの反応はどんな感じでしょう、
「え?」
「あ⁉︎」
「へ?」
「ぽ?」
こんな感じですかね?1文字である程度感情が伝わってくる日本語ってやっぱすごいなぁ、「ぽ?」だった人とは一生涯の友達になれる気がします。
1文字しか反応が出ないのも無理がありません。だって意味がわからないですもん。自分でもあんまり意味が分かってないです笑。正確にいうと意味はわかるけど、想像がつかない。50年間、毎日投稿することなんて。
質より量
昨今、毎日投稿はブームではありません。
数年前までは多くのクリエイターが毎日動画を出すことに躍起になり、YouTuber=毎日投稿というイメージも濃かったですが、今は量より質。クオリティの高い動画が正義。有名人たちも参入しYouTuber市場は非常に厳しい状態になっています。
ただ現在19歳の私はつい妄想してしまいます。いや今を生きる全ての若者たちが一度は妄想したがあるはずです、、、!
「もしYouTuberになれたなら」
実際YouTuberにはなれます。アカウント作って、適当な動画を撮って、投稿してしまえば、ほらYouTuber、、、
違う、そうじゃない。ここでいうYouTuberっていうのは、フォロワーが沢山いて、動画を出したら即反応。コメント欄に「いちコメです」が3個くらい、これこそYouTuber。
けど先程言った通り、YouTuber戦国時代の今、何のスキルも経験もない、イケメンなどとは程遠い、小太り大学1年生にはこのレベルはかなり厳しい。歌も絵も上手くないし、カップルチャンネルも、、、 機材にかけるお金もないし、ネットの知識もない、友達もいない。ないものはどんどん浮かぶけど、自分の強みは何も浮かばない。つまり動画のクオリティーではきっと勝負できない。
なら量で勝負。
量より質の時代なのだとしたら、時代に逆張りして質より量。そんな奴が一人いたっていいじゃないですか。
動画の本数を重視するなら、とりあえず毎日投稿、1年で365本の動画が上がる、これはすごい。ただこのレベルなら何組もの先人たちがやってきていて、有名なのは水溜りボンドさん。彼らはなんと6年間も毎日投稿を続けていました。つまり単純計算で2190本の動画を毎日投稿し続けたのです。しかも内容も面白く、企画性も高い。
ただ私は質より量、6年以上やればいい、それだけです。10年間毎日投稿。今、19歳だから終了するのは29歳。いける、いける気がする、、、いや待てよ、いける気がしちゃダメなんじゃないか。どうせなら想像もつかないようなものにしたい、、、
50年間毎日投稿だ!!!
はい、私の人生において、もしかしたら最大の過ちになり得る決断をしてしまいました。50年間毎日投稿をし続けるだけのチャンネルの誕生です。コンセプトは「人生が一番面白いコンテンツ」
内容はただその日あったことを、ただの一般人が、ただ喋るだけ。ただの3乗です。けれど、こんな価値の無いコンテンツでも50年続ければ意味が出るはず、まさしく質より量。
50年間の孤独の戦い
しかし、ここにきて一つ問題が、このチャンネルの魅力は50年間続けること。つまり、このチャンネルのポテンシャルが発揮されるのは50年後ということになります。2071年、私が69歳の時に、ようやくこのチャンネルの魅力が生まれる。ただの一般人のおしゃべり動画に需要はないから、つまり少なくとも数十年は孤独での戦いとなります。
まあ、いいか。だって暇だし、面白そうだし。「やらない人生よりやった人生」って誰かが言ってた気がするもん。YouTuber史上一番のスローペースで100万人登録者を目指そう。ここも逆張りだ。50年後にいわゆるあのYouTuberになる。50年後まで「いちコメ」という文化が残ってればいいですけど。
チャンネル名は「50年後のみなさまへ」
50年毎日投稿ありきのチャンネル名。ルールは50年間毎日投稿するだけ。内容は何でもアリですが基本的には、ただダラダラ喋るだけ。動画の冒頭「今西暦何年ですか?」で始まるのはこだわりポイント。
ここまで、どれくらいの人が見てくれているかはわかりませんが、このブログでは1週間ごとのYouTube記録をあげていきます。察しの言い方はお気づきかもしれませんが、これはつまり、50年間ブログを更新することも決定したことになります。あれれ?
まあとにかく50年間YouTubeを投稿し続けるので、友達になった感覚でゆるーく長く、よろしくお願いします。
【読書感想】空想に落ち続ける 〜Aマッソ加納愛子「イルカも泳ぐわい」〜
Aマッソ(と私)の全て
Aマッソさんのことは普段から好きで、テレビに出ていれば何となくリモコンから手を離すし、YouTubeチャンネルもフォローしている。レスキュー企画やフリ選手権は大好物だし、ゲラニチョビも追いかけて、DVDも買った。レンタルだから買ったとは言わないか、、
まあつまり、結構なファンである。Aマッソファンというと周りのお笑いファンからたまに冷たい目というか、ヤバめのファンを疑われるがそうではない、多分。
ちなみに他の好きな芸人は、マヂカルラブリーさんとラーメンズさんだ。ラインナップもさることながら、どの芸人さんにも、きちんと敬称をつけるところから、ヤバめ感が臭うが断じて違う、多分。
今回「イルカも泳ぐわい」が出版されてからというもの、本屋に行くたびに購入するかどうか悩んだ。読みたいは読みたい、しかし、買うのが恥ずかしいのだ。これは自意識過剰を拗らせた結果なのだが、どうも自分の中で「あいつお笑い知ってるアピールしてるやん」と思われてそうで恥ずかしくなってしまう。「遺書」なんて一生買えないのではと思っている。
そんな状況だったが、彼女が本を買ってくれるとのことだったので、ここぞとばかりに注文した。彼女からの誕生日プレゼント、これでよかったのだろうかと思いつつ、その過程を時々思い出しながら読むことで、本の面白さが何倍にも増した。
皆さんもパートナーへのプレゼントにはこの本を送って欲しい。
何いうてんねん
流石に本自体の感想に入る。ただここまで本の内容と関係ないことを書いてしまったのもこの本の魔力によるものだ。自由な発想を、あたかも何も起こっていないかのように書き切ってしまうこの本の独特な雰囲気は、キーボードを叩くテンポを早くする。
読み終えた後の疲労感など吹き飛ばすほどの、エネルギーがあるのだ。ただそれは決して暑苦しくないし、冷たいわけでもなく、空想という終わりのない海をただ楽しく泳ぎたくさせる。まさしくイルカのように。
複数の短いお話から成るこのエッセイは、加納さんの頭の中そのもの、、のはず。
というのも加納さんが見えそうで全く見えないのがこの本の重要なところなのだ。この本を読んで「加納さんのことがよくわかりました」と言おうもんなら、ケタケタと笑った加納さんが満足そうに現れた挙句、ものすごく意地悪な一言を言い残して消えていく、そんな光景が目に浮かぶ。
このエッセイはもちろん作品で会って、加納愛子ではない。どれだけ読者を楽しませようかという加納さんの好奇心に溢れている。どんどん加納さんの頭の中に「出来ちゃった」最高の世界に落ちていく。
タイトルで埋め尽くされた表紙、1枚めくって青、もう1枚めくって強烈なピンク。この時点で、すでにワクワクしている自分がいる。そして真っ白なページにポツンと「イルカも泳ぐわい。」の1文。先程のポツンとという形容は撤回する、力強く堂々とした佇まいでこの言葉は、我々読者を待っている。「どうだ、面白いだろ」といった顔をして。
自分が特に好きな話は「七瀬」。苗字にも名前にもなれる言葉にフォーカスした話なのだが、最終的にはそんな言葉がパーティーを始める。自分で書いていて不安になったが、そういう話なのだから仕方がない。加納さんのごっこ遊びが始まるのだ。場面やルールも自分次第。真っ白なキャンパスを、腕を捲って自分好みに染めていく、創作の楽しさの根源みたいな、ものすごく純粋なものを感じ、そして最後にはやっぱり「何いうてんねん」と突っ込んでしまう。
空想に落ち続ける
多分この本を読んだからといって、明日からの人生が劇的に変わるわけでもないし、自分の人生を見つめ直したりもしない。でも、少しだけ明日からの人生を肯定できる気がする。ごっこ遊び上等、頭ん中最強、自分の空想に落ち続ける。それさえ出来ればたとえ地獄に落ちても、何となく楽しめるのではないだろうか。
自意識過剰とブログ
自意識過剰がブログを始める
「ブログを書くことにした。」
こうして宣言してみると、たった11文字、句点含めて12文字でスッキリと収まってしまうが、自意識過剰を拗らせナナメな思考しかできなくなってしまった激イタ19歳にとって、ブログを始めるということは大きな決意であり、もしかしたら大失敗だったかもしれない。
自意識過剰という病気
自意識過剰といってもその特徴、いや、その症状は千差万別であり、患者同士で意見が一致することはほとんどない。それもそのはずで患者自身が発作が起こる原因やパターンを正確には理解していないのだ。あるシュチュエーションに対面して初めてそれが自分の中の「恥ずくて無理ライン」を超えていることに気づく。
自意識の芽生え
私自身の具体例を挙げると、東京…じゃなくて千葉県にある某テーマパークのパレードを見ていた時にある行動がラインを超えた。ここのパレードといえばフロート車という派手で大きい車に乗った、鼠、鳥、犬、グーフィーなどが、陽気な音楽にノったり踊ったりしながら、園内中を回り、フロート車の上から眼下の我々利用者に対してポーズを決めたり、手を振ったりする。
そして我々利用者たちはこの行為に対して、彼らの名前を叫びながら手をふり返したりするのだが、これが私にはどうしても出来なかった。「なぜ?」と聞かれるとうまく答えられないのが自意識過剰という病気の最も厄介なところだが、推測するに、「うわ、あいつ超テンション上がってんじゃん、やば(苦笑)」と思われるのが嫌なんだと思う。
もちろんそんなことを思うことがいない事や、私程度のことをそうやって注意してみている人などいない事は19年という短い人生の中でも理解している。ただ理解はしているが自分の中の制御できない羞恥心が手を振らせてくれない。これが自意識過剰である。
けれどこの時、手を振らなかったことに対して母に怒られたのは今でも腑に落ちない。
自意識過剰のユートピア?
熟成ツイート
こうした症状を持つ私がブログを始めたのだ。当たり前のように障壁は多い。Twitterをやっているのだが、1ツイートするにしても「〜と思われたどうしよう」とか「バズらせようとしてると思われるかも」など悩みに悩み抜いてようやく投稿する。
基本的にツイートは1日眠らせてから、翌日判断して投稿するので今までに何百ものツイートが自意識によって削除されてきた。ある意味つぶやいたことなど一度もない。
自意識過剰とブログ
こんな奴のブログ、1つ書くのにどれだけ時間がかかるのだろうと思って避けてきたのだが、実際に書いてみると割と手は進む。おそらく文字制限がないので言い訳がいくらでもできるのが自意識を出さずに書き続けられている理由だと思う。
あとは自意識過剰やその延長で生まれたナナメな考え方を始めに堂々と宣言していることも大きい。さらには Twitterやインスタなどはどうしても現実で繋がりのある人に投稿が見られるのでどうしても恥ずかしさが出てきてしまうが、ブログはその心配がないのでいくらでも恥ずかしいことが言える。
ある意味ブログは自意識過剰な人たちが発言する最適な場なのかもしれない。他の自意識過剰患者達との交流もできたらさらにいい。ただこのナナメなノリ100%で書いた屁理屈や僻み、厨二病全開の文章が現実の私と繋がり、黒歴史にならないことを祈る。
12文字の宣言が大失敗になりませんように。